Home> 鎖骨遠位端骨折の経過
職場復帰したときに質問攻めにあうことを想定し、質問集を作りました。
鎖骨骨折月記 (http://homepage2.nifty.com/~takashi~/index.htm)
古いふま日記 (http://www2.diary.ne.jp/user/168643/)
がるぅの骨折日記 (http://www.paw.hi-ho.ne.jp/garuu/garuu/garuu-diary.htm)
パンクはいつも突然に(http://d.hatena.ne.jp/doroyamada/searchdiary?word=%2a%5bcollarbone%5d)
今日は、4日前に壊した通勤号の泥除けを修理するために、午後から小平のサイクルストア・ヒロセまで往復した。立川から小平までの往復には、いつもの最短コースは半年前に骨折した落車現場を通過することになる。しかも、骨折以来現場に足を運ぶのは初めてだった。昼間に通る現場は非常に見通しの良い場所であったが、なぜ骨折に至ったのかはよく考えさせられる。
さらに帰り道、国立と立川の間の中央線の踏み切りを渡る時の出来事。閉じていた踏切が開き走り始めると、反対側から若い夫婦がやって来た。すれ違いざまにふと顔を見ると、立川病院の整形外科でお世話になった西本先生だった。こんなところで会うとは想定していなかったので驚いてしまったが、軽く頭を下げると先生も気づいたようではっとした表情を見せた。若くて綺麗な奥様と犬の散歩に出歩いていたらしい。自転車は加速し始めていたため、振り返ることなく走り去ってしまったが、凄い偶然だった。
3日前に行った肝臓の精密検査の結果の報告を受けに立川病院に行った。
結果は脂肪肝とのこと。特に肝炎は見られない。脂肪肝の原因には一般にアルコールと肥満があるが、習慣的に飲酒することはないので、後者に該当する。自覚としては、一昨年までは毎週のように自転車で峠に走りに出掛けていたものが、昨年から自転車に乗れる機会が段々減ってしまい、骨折でとどめを刺されてしまったのだろう。腹の減り具合からも、明らかに基礎代謝が落ちている。それにして肥満とは屈辱的である。
脂肪肝は医学的な治療でなく食事療法によって改善するものとのことで、同じ立川病院の栄養科の相談を受けることになった。相談依頼用紙には目標カロリー1800kcalと書いてあった。1800kcalといえば、入院時の献立に記載されていたのと同じカロリーである。とても貧相な食生活を指示されそうだ。
鎖骨遠位端骨折のタイトルからは外れるが、今日は肝臓の精密検査を行った。外来の診察は無く、CTと超音波エコーの検査だけだった。
CTはいつも通っていた病院地下の放射線科の一角にある。レントゲンの待合室の廊下から分岐するエリアだ。判る範囲ではMRI 2台とCT 1台が設置してあるようだ。出入りする人を見ていると、撮影技師はレントゲンと共通のようだ。
予約時間の30分前に到着し、受付を済ませると間もなく検査着を渡された。併設の更衣室で着替えたのだが、足元がスカートみたいにスースーして変な気分だ。奥の椅子に座って待っていると、2つのMRI室の間にある小部屋の中のパソコン画面上に、他の患者さんの断層写真を幾つも映し出され切り替わっていた。腹部が写り、続いて写ったのは頭部だろうか。
定刻を5分過ぎたところで、間もなく検査の順番が回ってくることを告げられ、麦茶の入ったLサイズの紙コップを渡された。CTの検査では像のコントラストをよりはっきりさせるために、X線吸収率の高いヨード系の造影剤を注射して検査することが多い。ここで水分を摂らされるのは、造影剤を検査後早期に尿から排出するためであり、造影剤を使うことの予告であることは容易に推察できた。さらに5分するとCT室に呼ばれた。
広い部屋の真ん中に鎮座していた純白の装置には、"Light Speed"のロゴがあった。事前調査の記憶では、GE横河メディカル製で、マルチチャネル・マルチスライスの検出器によってスキャンの高速化を果たした装置との記憶がある。
看護婦さんの指示に従って検査台に横たわり、頭の上に腕を上げる万歳の姿勢をとった。1ヶ月前ならできなかった格好だ。まもなく検査台が動き出し、自分の身体はドーナツ状のCTスキャナー本体の中に入っていった。大きく息を吸って止める指示がされ、スキャンが行われた。スキャンは2回行われたが、1回目は予想よりもかなり速かった。1回目の粗スキャンによってターゲットの臓器の位置を定め、2回目の本番スキャンで精細画像を得たのだろう。
間もなく技師と看護婦さんが出てきて、大きな注射器のような注入機とそれから伸びる点滴のチューブが用意された。注入機にセットされた薬剤の容器には「オムニパーク300」と書かれていた。造影剤の注射だ。左腕を左側の台の上に真っ直ぐ伸ばすと、技師の人が点滴の針を挿し始めた。一回は失敗してお陰で痛い思いと余計な穴ができてしまったが、あとは順調だった。後で見た会計票によれば180cc注入したようだ。準備が整ったところで、3回目のスキャンが始まった。造影剤を注射した後が本命なのだろう。3回目は2回目よりもさらにゆっくり20秒位かけてスキャンが行われた。これで検査は終わり。着替えて次の超音波エコーの検査を行う機能検査室に向かった。
超音波エコーの検査はこれまでに2回受けたことがある。1回目は大学院の健康診断の精密検査、2回目は会社に入社したときの健康診断の精密検査であり、どちらも検査部位は心臓である。これは自転車を始めてから心臓が大きくなってしまったため、心肥大の疑いに対して無実を晴らすためであった。
病院の2階のはずれにある検査室に入ると、超音波エコーの装置とベッドが置いてあった。装置は、東芝メディカル製のSONOLAYER SSA-270Aで、やや古そうだ。上半身裸になってベッドに仰向けになると、技師の人がお腹の上にプローブ用のゼリーを一杯垂らして、検査が始まった。造影剤の注射が無いので痛い思いはせずに済むが、指示に従ってお腹を大きくしたり楽にしたり繰り返さねばならないので、楽というわけではない。ポーズをとっては撮影しているようだが、ディスプレイは患者からは見えない向きに設置してあるのが残念だ。10分位検査が続いただろうか。終わったところでお腹一杯に塗り広げられたゼリーを看護婦さんが拭き取ってくれるのを期待していたのだが、自分で拭き取るよう指示され、やや残念だった。
:今日の検査に対する診断結果は6/11(金)の外来で説明を受ける予定。CTの断面写真を早く見たい。
ついに抜糸の日である。骨折してから4ヶ月と20日。長かったが今日で一通りの治療が完了する。
立川病院に到着すると、いつものようにまずは地下のレントゲン室に向かった。待合室で隣に座ってきた女子高生は上半身でなにやらパキパキ音がしていた。服の音にしては奇妙であり、すぐに鎖骨バンドで締め付けられる音だと判った。シャイ(?)な自分からは話しかけることはしなかったが、レントゲンの申込票をちらと見ると、予想通り撮影部位は「鎖骨」だった。「肩鎖関節」でも「胸鎖関節」でもないので、鎖骨の真ん中辺りで折れているのだろう。彼女は鎖骨バンドだけで治るだろうから、ラッキーだったのだろう。
さて、自分の番が回ってくると慣れた手順で撮影からフィルムの受け取りまで済ませ、写真をまじまじと見た。骨折箇所の辺りはに継ぎ目がまだ残っている。良く見るとプレートを固定するネジが通っていた穴も見える。しかし、プレートが無くても転位することなく鎖骨はちゃんと繋がっていた。これで安心だ。
やや緊張しながら整形外科の外来に向かった。暫くすると名前を呼ばれ処置室に案内された。西本先生は診察室の方にいる筈なので、処置室の中には入院中に回診でお世話になった川上先生が待ち受けているだろうと予想していたが、そこにいたのはさらに別の中山先生だった。整形外科医師の名札をしていたが、受付ホールの医師名簿には名前の載っていない先生なので、極々最近着任したばかりの研修医の方なのだろうか。
西本先生の指示で中山先生が抜糸を始めた。前回傷口を固定していたのは金属製のホチキスのようなもので、抜糸に使ったのは片手で操作できるピンセットのような道具だったが、今回は様子が違うようだった。位置的に直接見ることはできないが、両手に道具を持って「プチン」とやっていた。取れてきたのは、緑色の合成繊維の糸であった。そういえば、レントゲンには骨格以外に金属製のものは何も写っていなかったのを思い出した。まもなく全ての抜糸が終わり、全ての人工物が身体から無くなり、生身の人間に戻った。
帰宅してから傷口を見てみたが、2回目の手術切創は1回目の傷口に綺麗に沿っていて、しかも鋭い。恐らく電気メスではなく伝統的な刃物のメスを使ったのではないかと思う。糸もホチキスよりも細い糸だったので、傷口があまり目立たないようにしたのか、或いは同じ場所を二度切った場合は癒合し難いので配慮したのかもしれない。縫い目は1回目の倍のピッチで9針だった。
これで一通りの治療が終わったことになるが、肩鎖関節にはまだ若干の違和感が残っている。靭帯も損傷し長期間関節を固定していたのだから無理もないのだろう。骨自体は治ったが、関節としてはまだ暫く回復に時間を要するのだろう。自転車にも乗り始めて、少しずつ体を慣らしていこう。
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骨折直後のレントゲン写真 | 5/31のレントゲン写真 |
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2回目の抜糸後の傷痕 |
今日も天気誤報で空は晴れ。会社に行くのが勿体無かったが、仕事が片付かないので自転車通勤した。尻の筋肉が相当怠慢になったらしく、1時間乗っているだけで痛くなってくる。学生時代には自転車通学で信号毎にスプリントして尻筋を鍛えたが、最近はどうもそのような闘争心が沸いてこないので、復活させるには相当苦労するだろう。
このところ仕事が忙しく土曜日の今日も会社に行かねば行かねばならなかった。外は曇りの天気予報に反して快晴で少々暑いくらいだ。まだ抜糸は終わっていないが自転車の許可もおりていることなので、4ヶ月振りに自転車通勤してみることにした。
立川から青梅にある会社までは、比較的交通量の多いところを通ることが多い。昭和記念公園の外周部の道路は道幅が広く走り易いが、五日市街道は交通量が多い割りに道幅が狭いため、朝のラッシュ時は自転車でも走りにくい。幸い休日の今日はそれほどの混雑もなく、走り易かった。走りの方は、4月に乗ったときほどではないもののまだ微妙なバランス感覚が失われている。路肩の段差ぎりぎりのところを走ったり、横を擦り抜けようとする自動車とバトルする時などは危なそうなので、極力そういう状況は避けた。しかし、長いブランクのためか、体中の筋肉が落ちている。ハンドルを握る掌や尻は体重によって次第に痛みを感じ、脚力の面でも以前の巡航速度を維持するにはまだ足りない。
骨折によって自転車に乗れなくなったのが1月、復活が5月で、4ヶ月が経ってしまった。季節は真冬から春を春を過ぎて初夏まできてしまった。青梅の郊外にある会社に至る道には緑が多い。走っていると新緑の香りが漂っているのが感じられる。自転車通勤だけでなくツーリングも早く復活したい。
肝機能検査の結果が悪化するという思わぬ展開に戸惑いながらも、しっかり検査しておくことを決意して2日が過ぎた。当初は5/31の整形外来と同じ日に受診するつもりだったが、善は急げということで、今朝会社に行く前に立川病院に向かった。
立川病院には受付が始まる8:20の少し前に狙い通り着いた。同じ病院でも診療科が異なるので初診手続きを行うことになるが、診察券の磁気カードは既に持っているものを共用できるので、手続きは早かった。
内科の待合室は広かった。整形外科の3〜4倍はあるだろうか。診療科は内科1つでも専門が呼吸器内科や消化器内科とか細かく分かれている。自分が目指すのは消化器内科の柏崎先生だ。診察室は7部屋あり毎日ほぼフル稼働しているようだ。これだけの規模なら待合室の広さは納得できた。
初診の場合は再診予約済みの人達の間に入って診察を受けるのであるが、朝一番に来た甲斐あってか20分位で自分の番が回ってきた。早速診察室に入り、柏崎先生に挨拶をし、診察を受けた。お腹を触診しても、特に肝臓が腫れている感触は無いそうだ。酒も大して飲まず、肝機能検査の結果も絶対的に高いという訳でもないので、検査の結果が出るまでは今まで通りの生活で良いそうである。検査の方は、ウィルス等評価項目を増やして再度血液検査をするのと、超音波エコーとCTスキャンによる肝臓の観察ということだった。どうもCTは予約が混んでいて、予約が取れたのは6/8(火)、つまり11日後まで一杯だった。それに合わせて同じ日に超音波エコーも予約を入れ、6/11(金)の外来で結果の報告を受けることになった。
ついにCTデビューである。診察室を出るときに看護婦さんからCTと超音波エコーの予約用紙を貰ったが、添付された造影剤使用の同意書を読んでみると随分恐ろしげなことが書いてあるではないか。怖い検査にも見えたが、自分の体が輪切りにされてしまうのは、なんだか面白そうだった。
残った血液検査のために診察室を後にして採血室に移動した。時刻は9:30。一昨日の9時頃はとても混んでいたのに、採血室はもう空いていた。受付に用紙を差し出すと間もなく順番が回ってきた。いつも血管への出し入れは左腕からやっていたのだが、さすがに左腕は穴だらけになってきて可哀想だったので、今日は右腕から抜いて貰った。
抜釘手術後退院してから初の外来である。今日はレントゲン撮影は無く、代わりに肝機能検査のための採血がある。
整形外科と同じ本館の中央採血室には手術前の検査でも訪れており、場所は熟知していたので、病院到着後直ちに向かった。部屋の中は非常に混雑していた。考えてみれば、いつものレントゲン室に来るのは殆どが整形外科の患者であろうが、採血の方は全ての診療科が関係するので、混雑しているのは当然なのだろう。20人くらいは待っているだろうか。しかも広い廊下に待合席の並ぶレントゲンとは違って狭い部屋の中で待っているので、人口密度はなおさら高かった。常設の3つのカウンターに加えて隣に臨時のカウンターも設営されていた。一人当たり5分要すると仮定すると、25分は待たされる計算だ。予想通りの時間を待つと自分の順番が回ってきたが、番が回りさえすれば採血が終わるまではあまり時間が掛からなかった。
整形外科の外来に診察券を出してからも随分と待たされた。1時間40分は待合室に座っていただろうか。診察室に入ると、今日は出ないのではないかと勝手に思い込んでいた血液検査の結果が出ていた。長時間待たされた理由はこれだったのだろう。その場で血液検査の結果がでるのは大きな総合病院ならではのことだろう。で、早速血液検査の結果の説明を受けると、確かに値が高い。高くなっているのは、GOT, GPT, LDH, T-BIL, LAP, TTTであり、LDH以外は1回目の手術が終わって1週間経ってから上昇していた。絶対的に高いといえる値ではないので、内科に行って精密検査を受けるかどうかは自由意思に任されたが、迷わず精密検査を受けることにした。値の変化からは、骨折後何かに変化があったことは明白だろう。西本先生からは他の病院で検査を受けるか問われたが、同じ立川病院の内科で消化器内科の先生を紹介して貰った。
で、肝心の鎖骨の方は、来週月曜日に外来で抜糸して貰えることになった。ひとまずこれで通院は区切りをつける予定だが、思わぬ展開に戸惑うのであった......
肝機能検査結果の推移 | |||||||||
検査項目 | 基準値 | 単位 | 測定日 | ||||||
Min | Max | 1/21 | 1/28 | 2/2 | 5/12 | 5/19 | 5/28 | ||
AST(GOT) | 5 | 40 | U/I | 23 | 15 | 42 | 78 | 39 | 47 |
ALT(GPT) | 5 | 35 | U/I | 33 | 20 | 69 | 175 | 90 | 93 |
LDH | 50 | 400 | U/I | 406 | 396 | 471 | 529 | 405 | 438 |
T-BIL | 0.2 | 1.2 | mg/dl | 1.3 | 2.1 | 1.2 | 1.5 | 2.1 | 1.8 |
LAP | 30 | 70 | U/I | - | - | - | - | - | 68 |
TTT | 1.5 | 5 | U/I | - | - | - | - | - | 6 |
今日は土曜日なのか、朝は大変静かだ。窓の外の空は曇っており、廊下に出ている他の患者さんの口からは、外は寒いよという声が聞えた。いよいよ今日は退院だ。
7時になると最後の点滴が始められた。いつもなら朝食後に点滴するのだが、今日は退院のため早めに行ってくれているようだ。30分余りで点滴も終わった。今後抗生剤は錠剤で投与するため、今後こそ本当に腕の点滴針が抜き取られた。
朝食を終えると、婦長さんが退院時の説明にやって来た。婦長さんにお目に掛かる機会はなかなか少ないが、私のことを憶えてくれたようだ。前回の退院時に病院の意見箱にお礼のメッセージを残していったものが、病棟のナースセンターに回覧されていたらしく、よく憶えていたそうだ。再度お礼の意を伝えて説明を聞いた。
こうなると、入院費の伝票ができる10時までは暇なので、ベッドで斜め腕立て伏せをやったり、荷物整理をして過ごした。調子に乗って先に帰宅用の服装に着替えてしまったら、予想外の回診があって傷口の消毒をするといったときに焦ってしまった。そうこうするうちに、同室の方々がリハビリや風呂に相次いで出掛けるので、先に挨拶しておいた。
10時丁度に会計窓口に向かい、精算を済ませた。伝票に記載された処置・手術料をプレートを入れた前回と比べると、保険点数で言って15万円分安くなっている。つまり、肩鎖関節プレートは自転車のフレームを1本買える値段だ。大切にしよう。
伝票を持ってナースセンタに戻って婦長さんに伝票を渡すと、全ての事務手続きが完了した。荷物を取りに行って再度ナースセンタに挨拶を済ませ、病棟を離れた。病棟を去る前に手術の日にお世話になった若い看護婦さんにもお礼を言いたかったが、残念ながら今日はお休みのようだった。その代わり、朝からなかなか見つからなかったお茶の叔母様看護婦さんが給湯室から出てきたところで、元気な声で遠くから見送ってくれた。
帰宅後昼食を済ませ、入院の荷物を一通り片付けてから布団に横になると、久し振りに帰った自宅で安心したのか昼寝を始めてしまい、目を覚ました時には夜になっていた。
今朝も病棟が慌しい。火曜日と並んで今日金曜日も手術日であり、看護婦さんたちがストレッチャーを廊下に出し、出陣の準備をしている。一昨日には空きベッドの多かった隣室も、いつの間にか満室になっている。
朝方まで降り続いた雨は、朝食を終える頃にはすっかり上がり青空が広がってきた。南向きの自分の病室の窓からは遠くに富士山が見えた。雪はかなり融けており、残雪は沢だけであった。反対の南側は完全に融けているのであろうか。
廊下で西本先生に出会ったので、明日の退院の確認と手術前検査で結果の悪かった肝機能の精密検査について相談してみた。肝機能の値は手術後の採血では回復してきているので、次回の外来時に再検査して、それでも悪ければ内科に行って精密検査すればよいでしょう、という話になった。気は緩められないがやや安心した。
天候が回復したので、ようやく折り畳み椅子が日の目を見た。早速午前中に椅子と文庫本を持って屋上に上がってみた。屋上は太陽の日差しが当たり、心地良い。手元の腕時計の温度計は29.9℃を指していた。午後には間違いなく30℃を越えるだろう。汗をかき始めていたが、風に当たりながら暫く読書にふけった。
午前中の回診の時間に合わせて病室に降りた。右肩は自主リハビリのために痛みを感じる寸前まで動かしているので、傷口が開いていないか心配になっていた。まもなくやって来た川上先生に診て貰ったが、全く問題が無いことが判り安心した。
前の日から続いている雨は今日も止まず。屋上で過ごせるように用意してきた折り畳み椅子は、役に立つ見通しはない。
毎週木曜日はシーツ交換の日である。朝食が終わると病棟が慌しくなった。実習中の看護学校生も正規の看護婦さん達といっしょになって働いている。もっとも自分のベッドは入院してから3日しか経っていないので、自分のベッドはシーツ交換対象外となり、辺りの作業を眺めるだけだった。
昼間時間があったので、腕立て伏せをしてみた。とは言っても本当は腕立て伏せや懸垂などの肩に負担の掛かる運動は抜糸までお預けということになっていたので、床でなくベッドの手摺りに斜めに向かうインチキ腕立て伏せであった。人には「また屁理屈を言って...」と叱られそうだが、簡単に言えば角度の分だけ負荷を軽く調整できるので、大して負担は掛けていない。まずは軽い負荷を回数こなすところから始めよう。
夕方には退院時看護計画書が届けられ、土曜日の退院が正式に通知された。土曜日は午前中に抗生剤の最後の点滴を済ませてから退院となるので、お昼頃には病院を脱出できるだろうか。
朝6:05、初屁の出を迎えた。食事への最大の関門となる事象でありながら、朝食まで残り時間が無いので、看護婦さんには直ちに伝えた。朝食には間に合ったが、まだ医師の許可が下りていないためか、ベッドから脱出することはまだ許されず、ベッド上で起きて食事をすることになった。38時間ぶりに口にする食事はお粥であったが、空腹の胃をいっぱいに満たしてくれた。
ベッド上の空間を利用して抜釘された右肩を動かしてみた。4ヶ月間自由に動かせなかったため、完全に元通りの動きができる訳ではないが、制限されていた腕を上に伸ばす運動はある程度できた。まずまずであった。
10時過ぎには若い看護師さん(♂)がやって来た。「トイレに行かなくても済む画期的なチューブ」も外され、不思議に思ったが点滴針も抜かれ、手足を拘束されるものが一切無くなり、ようやく起きて歩き回ることが許された。開放感でいっぱいになった。
11時頃、若い川上先生が回診に来て、傷口の消毒をして貰った。太田先生の後任だと思われるが、仕事はきちんとしているが、あまりに普通すぎてあまり面白くなかった(注: 仕事はしっかりしており、決して悪い方ではありません...)。
回診が終わり午前中のプログラムが一通り終わると、昨日貰ったプレートの包みを開けてみた。プレート1本とネジ4本とワイヤ1本で、レントゲンに写っていた全てのパーツが揃っていた。プレートの表には10cmサイズを示すと思われる"10"の文字が、裏面にはシリアルナンバと思われる"B03825"の印字がある。ネジには微妙に異なる2種類の長さがあるが、いずれも先端にはタッピングのための刃が付いており、六角レンチで締める構造だ。プレートとネジは色からしてチタンだと思われるが、ワイヤは容易に切断可能な鉄であろう。ネジには再生した骨の組織が付着していれば観察のしがいがあるのだが、全て綺麗にクリーニングされていた。
立川病院には看護学校の実習生がよく来る。前回は立川の看護学校から来ていたが、今回は一昨日から青梅の看護学校が、今日から八王子の看護学校から来ている。昼食が終わると、早速八王子の看護実習生(♂)が回診に来た。食後の体温、「お通じ」と「お小水」の回数を聴かれたが、マニュアルに従って一つ一つ順番に尋ねられるのは尋問のようであった。最後に「スノーボードやられるのですか?」と聴かれた。おいおい、それは隣人だろう思いながら「自転車です」と訂正した。暫くして順番が隣人に回り、私の名前を呼んでいた。そこでようやく基本的な過ちを犯していることに気付いたようだ。ちなみに体格良さそうな彼に尋ねてみると、予想通り「自分は柔道やっていました」との答え。やはり看護婦は女性が似合う職業なのだと思った。
夕方、1階まで出掛けて戻ってくると、今朝点滴針を抜いた看護師さんが待ち伏せしていた。なんでも今朝点滴針を抜いたのは誤りで、まだ数日間朝晩抗生剤を投与するので、再び点滴針を入れるという。折角自由の身になったのに再び人工物を挿されることに大変落胆した。しかも、この看護師さん、点滴針を入れるのに慣れていないようで、2回失敗した挙句に別の看護婦さんにヘルプを求める有様で、患者は大変不安になった。結局最後に入れたところは手首に近い場所で、手を動かすと針が動いてチクチクする鬱陶しい場所になってしまった。
その後いつも忙しそうな西本先生が様子見のために30秒程登場した。その時に土曜日の退院を打診され、そのまま承諾した。
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5/12のレントゲン写真 | 抜釘した肩鎖関節プレート(コインは比較用) |
いよいよ待ちに待った手術の日である。釘を抜くと書いて「ばってい」と読むようだが、釘に限らずネジやプレートを抜くことの総称らしい。
全身麻酔をしても垂れ流しにならないように、朝一番に浣腸をして腸の中を空にしておく。火曜日は整形外科の手術日であるため、前回は手術をする患者が処刑を待つかの如く行列を作ったのだが、今回はなかった。朝食の時間になっても手術前絶食の身ゆえ食事は無かったが、代わりに点滴が始まった。
今回は朝9時開始なので最初の順番のようだ。前回は最後の3番目にあたり前の患者が延長していたので、手術の終わる頃には付き添い控え室の人気が無くなり家族が寂しい思いをしたのだが、今回はそんなことはなさそうだ。
昨日病棟で最初に応対してくれた綺麗な看護婦さんに先導されて手術室に向かった。時間に余裕を持って来たが手術室の受け入れ準備がまだ完了しておらず前室で待たされた。前室でというのは、手術室の中で待たせて不安になることの無いようにとの配慮であったが、こちらとしては滅多に入れない手術室の中を観察した方が面白い。その旨看護婦さんに伝えると、手術室内の最終チェックを済ませると直ちに通してくれた。
手術室に入ると早速手術台に上がり横になった。胸には心電図の電極が取り付けられ、左腕には血圧計が巻かれた。まもなく西本先生登場。まだ時間があるので辺りをきょろきょろと見回した。全部で7部屋ある手術室は手術の目的毎に固有の構造になっているそうだが、今回入った7号室は外科の手術向けだそうだ。天井からは5本のアームが伸びていただろうか。3本は照明用で、それぞれ大、中、局所用の照明装置が備わっている。別の1本にはレントゲンの装置が装備されているが、正面像しか撮れないのであまり使っていないそうだ。残りの1本には良く判らないリング状の金具に4本棒が付いていた。
時刻は9:15。まもなく麻酔が始まった。前回は点滴からの導入で一瞬にして意識を失ったが、今回はガスからだった。酸素マスクを差し出され、良い匂いがするから吸うように指示され従った。続いて麻酔ガスで深呼吸をする。息をするごとに意識が遠のき、やがて失った。
意識が回復すると、、時計の針は10時半を指していた。1時間15分麻酔が効いていたことになる。意識はまだ寝起きの状態だが、ストレッチャーに移され病室に運ばれているのが判った。最後に病室のベッドに下ろされる軽い衝撃を感じ、心電図の電極を取り付けられると、一通りの作業が完了した。
夕方には摘出されたばかりの肩鎖関節プレート一式を看護婦さんが届けてくれた。記念というかお守りとして貰えるように手術前に手配しておいたものだった。寝たきりの状態では包みを開けてみることもできず、とりあえずそのままテーブルに置いておいた。。
朝一番の手術はまたされなくて済む反面、終わってからが長い。僅か1時間の手術が終わってしまえばこちらは健常人のつもりだが、明日の朝まではベッド上で安静、つまり寝たきりの状態を強制される。一番空腹を感じる夕方から夜にかけては、前回は麻酔が効いていたが、今回は意識がはっきりとあり腹ペコの盛りであった。
しかし、例の若くて綺麗な看護婦さんが1時間おきに容態をチェックしにきてくれた。若いが一つ一つの動作が一生懸命しっかりしており、とても頼りになった。幸せであった。看護婦さんの見回りは準夜、深夜と引き継がれて、熱に苦しまされることも無く朝までゆっくり休むことができた。
抜釘手術の前日にあたる今日、再び立川病院に入院した。同じ病棟での2回目の入院なので勝手は殆ど判っており、しかも完治に向けた入院なので、気持ちは軽い。
今回の入院では、前回の経験に基づき新たに2つのアイテムを用意してきた。一つ目はPHSカード。前回は通信のために公衆電話を長時間占有して他の患者さんに迷惑を掛けてしまったが、PHSカードであれば病室で自由に使えるので楽である。通信速度も非同期56kbpsに比べると同期64kbpsは1.4倍になる。もう一つのアイテムはアウトドア用の折り畳み椅子だ。暑苦しい病棟の中を避けて屋上の外気に当たりながら過ごすのには便利なものである。会社の横のホームセンターで小型1.3kgで約500円という手ごろなものが見つかったので入手しておいた。
さて、受付で入院の手続きを済ませてから前と同じ3階病棟に向かった。約3ヶ月振りに訪れる病棟はあまり変わっていなかった。看護婦さんが一部入れ替わりになっており、最初に応対してくれた看護婦さんも初対面であった。まだ若くて初々しさが残るので新しい方なのだろう。お茶の叔母様は健在であったが、太田先生がいなくなり、男性の川上先生に代わっていた。
ヘルシーな昼食を済ませ午後になると、麻酔科の先生や手術室の看護婦の方がそれぞれやってきて説明を受けた。麻酔にもいろいろと種類があるらしく、「要望は無いか?」とまで聴かれてしまったが、解らないので適当に「前回と同じにして下さい」と答えた。夕方には主治医の西本先生から手術の説明を受けたが、ここで衝撃的な事実が判明。鎖骨そのものは予定通りに抜釘可能だが、先週受けた手術前の血液検査で肝機能の値が悪くなっていたらしい。前回の手術の時には何も出なかったので、ここ3ヶ月のうちに悪くなったことになる。思い当たることは、3月4月と残業時間が160時間位行っていたことくらいしかない。先生によれば、手術は可能なレベルだが、手術で使う抗生物質が肝臓にも影響を与える可能性があるので、手術を延期して肝臓の精密検査を先に受ける選択肢も示されたが、ここは予定通り手術を受けることにした。いずれにせよ退院したら少しでも早く精密検査を受けねばならなそうだ。
夕方にはお茶の叔母様が、明日の分だと言ってレンタルの寝巻きを配布していた。翌日はお休みなのだろう。
前回通院から1ヶ月余りが経ち、久しぶりに立川病院に通院した。いつもより遅い時間帯に行く病院は、レントゲンの待合室は混んでいたが、整形外科の外来待合室は朝一番より空いていた。この待っている時間はいつもなら暇しているのだが、今日はあっと言う間に過ぎ去った。というのは、先週NHKで放送のあった「列島縦断・鉄道12000kmの旅」に刺激されて故宮脇俊三著の「最長片道切符の旅」(新潮文庫)に読みふけっていたからだ。余談であるが、この本は日本列島を北から南まで最短で行っても2400km余りある道のりを地球の直径に等しい13000kmも掛けて1枚の片道切符で旅する、まさに知力、体力、気力の三拍子を要求される列車の旅のノンフィクションであった。しかも、美味しいところ取りだけして地方を紹介して廻るテレビ番組と比べて、原作の方は臨場感や生活感があり、自分が旅をしているような気にもなり、何倍も面白い。もしかすると北海道から九州まで少しでも大回りしていった宮脇氏と、全国の峠を一つ一つ訪れて行く我々自転車ツーリストは同類なのかもしれない。
さて、本題の診察の方であるが、若干まだ継ぎ目が見えているものの骨が付いてきたので、予定通り抜釘(ばってい)手術をすることになった。骨折部を補強している肩鎖関節プレートトを摘出するので、当然通常よりも弱い力で再骨折する危険が発生するが、あまり固定し続けていても関節が硬くなるので予定通り抜釘するとのことである。続いて手術の日取りの相談であるが、今週はまだ予約が空いているのでどうかと聞かれたが、「はい」と答えるといきなり明日から入院となってしまう。かといって来週後半以降は混んでいるようで、その後だと6月に入ってしまう。少々無理をお願いしたようだが、5/17(月)入院の5/18(火)手術ということに決まった。
手術が決まると次は手術前の検査となる。胸部レントゲンと血液検査と心電図を廻る訳だが、今回は外来前に肩のレントゲンと一緒に胸も撮ってきたので、廻るのは2箇所である。既に一度は経験したコースなので、目をつぶっても行ける。
検査も終わると、あとは今週中に仕事の段取りを付けて、月曜日の入院を待つのみとなった。
それまで大変忙しかった仕事も一瞬の谷間を迎えた今週末は、窓の外も雲の無い暖かな晴天であった。前回の検診で自転車の許可が下りたこともあって、骨折以来3ヶ月ぶりに自転車で外を走ってみた。
昼食を済ませてから、骨折したときと同じヒロセのスポルティフに乗り、まず近所の住宅街を走ってみた。第一印象は、とにかく真っ直ぐ走れない。3ヶ月のブランクのためかバランスが悪すぎる。続いて、住宅街の中から寝川緑道から立川公園を経て多摩川サイクリングロードへ。最後に走った1月と比べると季節が変わっていたので、自転車から眺める多摩川の景色はとても新鮮であった。
自動車の心配の無い多摩川サイクリングロードを下流方向に流すのだが、自転車復活に向けた課題が見えてきた。第一の課題は、腕や肩でも脚でもなく、尻にあった。自転車の無い怠慢な生活を送っていたためか、尻の肉がげっそり落ちてしまって、路面の振動が直に伝わってくるようだ。これでは長距離走るのには辛いだろう。鍛えなおさないといけない。脚の筋力や持久力は当然落ちてはいるが、走れば復活するだろう。肩も体重を支えるのは良いのだが、ハンドルを引くのにはまだまだ力が無い。
まもなく関戸橋が見えてきた。平らな場所だけ走っていてもつまらないので、通称「兎練」コースへと分岐した。とは言いつつも無難ないろは坂を登ってみた(ちなみにここは「耳をすませば」のロケ地だそうです)。とりあえず大丈夫そうであった。それでは飽き足らずに東電学園の脇から百草園まで上がった。百草園から川崎街道に至る坂は兎練の山場の一つでもあり、下ってから登るという意地悪な場所である上に、百草園に向かう通行人が多く、気軽に脚を着いたり押せる場所でも無かった。よって、ここは下るだけに留めた。
そろそろ尻も疲れてきたので、あとは川崎街道を高幡不動まで流し、モノレール沿いに走って自宅まで。20km余り、1時間半のポタリングでした。
新年度になってから初めての通院である。新年度ということで、病院の雰囲気にも若干変化が見られた。まず朝一番に訪れるレントゲンの受付では、異動になってきたと思われる女性がいつもの叔母様から指導を受けながら慣れない手つきで受付をこなしていた。撮影室の方でも時間がかかっていたのか、自分の順番が廻ってくるまでいつもの倍の30分以上待たされてしまった。いつもなら整形外来予約の9時前には終わるのだが、今回は遅れてしまった。
整形の外来の方にも変化があった。見慣れた看護婦さんが居なくなっており、顔を知っているのはごく限られた人数だけだった。いつの間にか変わっていたというのが寂しいが、そういうものなのだろう。
さて自分の順番が廻ってきて診察室に入ると、手術直後、前回、今回の3枚のレントゲン写真が並べられていた。こうしてみるとはっきりと違いが判った。前回も継ぎ目は埋まりかけていたが、今回の方が影がはっきり濃かった。あと少しの辛抱だ。そしてこの日、西本先生から自転車に乗る許可がおりた(ちなみに、先生は既に乗り始めているものと思っていたようだが、勿論ちゃんと言いつけを守っていました)。が、肩鎖関節プレートを入れたまま万が一落車すると、肩甲骨が逝ってしまう恐れがあるので、プレートが取れるまでは自粛することにした。
最後に2回目の手術についての話が出た。骨が癒合した後は腕の可動域を元に戻すため、肩鎖関節プレートを摘出する手術が必要である。摘出時も全身麻酔で約1週間の入院とのこと。詳細は1ヵ月後5/12の次回検診時に決めることになった。4月中に取れればハッピーだと期待していたのだが、術後3ヶ月がひとつの目安とのことで、手術は5月後半になりそうだ。
このところ積極的に腕を動かしていたためか、右肩の前の辺りに慢性的な痛みを感じていたので、若干不安な気持ちも続いていたというのが正直なところではあったが、今日の検診ではその不安を払拭するだけの結果が得られた。
いつものように朝一番に立川病院に行き、地下のレントゲン室に向かった。受付後、自分の順番が回ってくると、今回担当のレントゲン技師は珍しく若い女性であった。レントゲン撮影後フィルムを受け取ると、心の中で笑みが浮かんだ。勿論女性に対してでなく、フィルムに対してである。前回は良く判らなかったが、今回は素人目に見ても継ぎ目に骨の影が濃くなっているのが判った。骨折してから長かったが、ようやく光が見えてきたことを感じる思いであった。
喜び一杯の気持ちでレントゲンのフィルムを持って、整形外科の外来に向かった。今日は天気が悪いためか、待合室の人数はいつもより若干少なく、順番も早めに回ってきた。運が良い。レントゲンのフィルムを前に、西本先生から異常無しのお墨付きを貰った。骨折箇所の下の方(ワイヤを巻いた辺り)には骨がはっきりと見えている。肩鎖関節に近い隙間の大きい継ぎ目の部分はまだ1ヶ月位かかるとのことだが、着実に骨癒合が近づいていることが判った。
続いて腕の可動範囲をチェック。前や横方向は問題無し。以前は苦手だった後ろ手に回すのも、左手には掌一つ及ばないが、自力で支障無く動かすことができた。最後に西本先生が肩の上に手を当てながら、禁止されていた90度以上の範囲に腕を慎重に上げてみると、30〜40度位までは十分動いた。先生からは「プレートが取れればちゃんと上がりますからね」と念押しされて、診察を終えた。
次回の検診もまた2週間後。今度が楽しみだ。
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術後8週間経過 |
いつものようにいつもの叔母様の受付でレントゲンをとるところから始まった。西本先生によれば、レントゲン写真では、骨折部の端の方に少しだが骨ができているとのことであった。自分の目ではあまりよく判らなかったが、良い兆候なのだろう。
肩の可動域も少しずつ回復しているようだ。業務多忙のため暫く間の空いていたローラー台を昨晩20分程回してみたが、両手でハンドルのドロップ部も握れるようになっていた。上体の体重を掛けても平気である。これなら外に走りに出ることも不可能ではないが、でもやっぱり完治するまで辛抱が肝心である。今度は早く腕立て伏せをできるようになりたい。
検診はいつも地下の放射線科でレントゲン撮影をするところから始まる。いつも受付に座っている叔母様が、今日はお休みなのか姿が見えず、受付の雰囲気が違うのが妙に気になった。病棟のお茶の叔母様のことといい、いつもとの違いを感じてしまうのは、それだけ自分も病院の常連になってしまったのであろうか。
さて、整形外科の外来で待つこと1時間。前回までは太田先生の待ち受ける処置室に案内されていたのだが、今回は西本先生の診察室に直接案内された。まずレントゲン写真を確認したが、骨の継ぎ目はまだはっきり見えるものの、特にずれたりしておらず、良好な経過であった。変化が見られるのは術後6〜8週間位からだそうである。
つづいて、腕の可動範囲をチェック。肘を水平まで挙げたり腕を横に広げたりするのは、日常生活の中で支障なくできるようになっていた。苦手なのは、手を背中の後ろの方に持って行くことで、背中で腰の高さより上に挙げるのは痛かった。しかし、腕を90度以上上げさえしなければ、かなり広範囲に動かしても問題無いとのことなので、痛みを感じながらもリハビリに励む自信が出てきた。
ちなみに、体の変化を最も実感するのは風呂場である。まず着ている物を脱いで鏡に向かうと、肩の上や裏の筋肉や上腕外側の筋肉が左と比べて随分落ちている。体を洗う時も、左肩の裏側や背中を洗うのはまだ十分届かない。もっとも、骨折直後、ただ湯船に浸かることしかできなかった時と比べると、格段に回復している。
経過順調で今後は2週間毎の検診となったので、早ければ次回には良い兆候を期待したい。
P.S 昨日あたりからこのページもGoogleのインデックスに登録されたみたいで、検索サイトを経由して読みに来る人もぼちぼち出てきた。ちなみに、"鎖骨遠位端骨折"で検索するとトップです。
立川病院に毎週定例の検診に行った。いつものようにレントゲンを撮ったが、良くも悪くも変わっていなかった(今回はデジカメを持っていくのを忘れたので、写真の掲載なし)。まだまだ継ぎ目がはっきりと見えた。腕の動きを西本先生に見て貰ったが、制限の90度以下の範囲内では申し分無く、今日から三角巾を外す許可が下りた。但し気になるのは、肩鎖関節が固定されているためか、肩甲骨の回り(特に上腕との関節のあたり)に負担が掛かっているのか、姿勢によっては若干痛みを感じるところ。
ところで太田先生もお話ししていたが、月曜日の診察はいつも同じ顔触れになる傾向がある。自分と同じように手術を終えて毎週通ってくる人たちの経過もよく判る。お互い早く治したいものですね。
今日は退院後初の外来通院であった。
まず抜糸から。入院中にもお世話になった太田先生の手で、ホチキスの針(のような物)を1本ずつ外されて行った。レントゲンでは"C"の形状をしていた針は、工具で"Σ"の形に変形し、容易に外れるといった仕組みで、2〜3分で抜糸は完了した。1日おいて明日から入浴しても良いということになった。
続いて、今朝一番で撮影したレントゲンを西本先生に見てもらったが、経過は良好とのこと。
帰宅後そっとガーゼを剥がして見てみましたが、鎖骨に沿って弓なりに切られた19針の生々しい傷痕がありました。
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術後13日目 | 抜糸後の傷痕 |
遂に退院の日だ。今日の始まりは、「お茶です〜」ではなく、手術を受ける患者への浣腸の宣告であった。手術室は曜日毎に担当診療科が決まっており、毎週火曜日は整形外科の日だった。1週間前の出来事が思い出される。続いて、朝の看護婦さんの巡回の時に「退院おめでとうございます」と声を掛けられ、大変嬉しい。
朝食後婦長さんがやって来て、精算など退院の諸手続きの手順を教えてくれた。所定の時間に会計窓口で支払を済ませてから病棟に戻り、伝票と引き換えに次回外来の予約票などを受け取ると、全ての手続きがが終わった。病室の隣人に丁寧に挨拶を済ませると、荷物を持って玄関へ向かった。丁度待ち構えていたタクシーに乗り込むと、10分も掛からないうちに1週間ぶりの我が家に到着した。
今回の入院・手術にあたってはいささか不安はあったが、立川病院の方々の思いやり豊かな手厚い看護によって、何の苦痛もなく入院生活を送ることができた。特に3階病棟の看護婦の方々に厚くお礼申し上げたい。
夜になると、骨折以来、初めて自転車に乗った。ペダルを回した。それでも走りはしなかった。全て家の中での話である。
というのは、夕方近所の自転車屋(近所といっても「なるしまフレンド」という有名な店です)に行って負荷付のローラー台を買ってきた。歩いても15分位の距離だが、軽く10kg位はありそうな荷物を左手だけで持ち帰るのは至難の業だった。が、人間やる気さえあれば何でもできる。遂にやってしまった。オランダのTACX製のこの製品、非常に難解なマニュアルを見ながら組み立てを完了し、早速乗ってみた。上体を支える力が右腕にはまだ回復していないため、左手だけの片手運転になりそうだが、それなりの負荷もつけることができ、これから走れない数ヶ月の間、リハビリの友となるのであろう。
明日はいよいよ職場復帰の予定。
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ローラー台にセットされた自転車 |
週明けの今朝は再び元気な「お茶です〜」で始まった。
午前中、「部長回診」ということで、整形外科の部長先生が若手医師と婦長さんと看護婦さんを引き連れて回ってきた。そこで気になる一言が。「骨あまりできていなかったよね」というのは、手術のときのこと、つまり骨折から2週間余り経過した時点のことを言っているのであろう。遠位端(関節の近く)は骨ができにくいとのことである。やや不安になった。
午後になると西本先生がやって来て。明日の退院に備えて、腕の固定を三角巾に替えて下さった。これで腕の自由度が画期的に広がった。ずっと「く」の字に胸で固定されていた右腕を1週間ぶりにゆっくりと伸ばした。続いて先生の指示に従って曲げ伸ばしのリハビリ運動にトライ。封印を解かれて自由になった右腕は、軽い痺れを感じながらじわじわと動いた。画期的であった。さらに腕を横に広げる運動にもトライ。これは自力では厳しかったので、先生の力を借りた。ジーンとした感覚が心地良い。画期的であった。右腕の自由度が増したことで、キーボードのブラインドタッチも復活だ。
右腕の固定が三角巾になったことで、汗疹の痒みからも解放されることになった。先生が病室を立ち去ると、すぐにタオルを持って洗面所に向かった。右腕をゆっくりと流しへ伸ばして、お湯を流した。気持ち良すぎる。何日かぶりに風呂に入るような心地良さだ。タオルを使って綺麗に洗い流すと、汗疹の腕はすべすべ感を取り戻し始めた。さらに、濡れたタオルを両手で簡単に絞ることができる。これも画期的だ。当たり前だったことが何事も画期的に思えて新鮮だった。
続いて入院中最後のレントゲンを撮るためレントゲン室に行く指示を看護婦さんから貰った。開放感は右腕だけでなく、気持ちの上でも同じで、レントゲン室に向かう足取りが妙に軽かった。依頼票を受付に提出してから自分の順番が回ってくるまで、待合席で人目を気にせずリハビリ運動を何度もやってしまった。撮影後間もなく受付でフィルムを受け取ったが(病棟までは自分で運ぶ)。フィルムを見る限り、手術切創の糸(ホチキス?)以外は手術直後とは変わりがない。とりあえず骨の固定は動いてなさそうで、万事問題なし。これで明日は間違いなく退院だ。
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術後6日目(固定状態は手術直後と変わらず) |
気温が26〜28℃と高めの病室に比べて、屋上は快適である。冬場でも日中晴れていれば16〜18℃あるので、羽織るものを調整すれば十分である。こういう時にノートPCは便利である。経過も順調だと、話題が横道に逸れてきていけませんね...
病棟の中での行動は規則的なものが多い。入院生活にも慣れてくるとだんだん習慣になってくる。平日は毎日食事時間の20分前になると、いつも同じ看護婦さんが「お茶です〜。お茶が来ました〜!」と元気な声でお茶を配りに来てくれるのだったが、今日の土曜日はとても静かだった。土日休みの平常勤務なのでしょうね。でも、ちょっと寂しかったですね。
このページを書いていたら、回診にやって来た主治医・西本先生に見つかってしまいました。何か不適切な表現等ありましたら、メール等で遠慮無くご指摘下さい。→西本先生
昼食前に看護婦さんが汗疹の薬を届けてくれた。上半身裸になり腕の固定も緩めて、濡れタオルで綺麗に拭いてから薬を塗ってもらった。お陰様で、痒みも引いて、独特な臭いも落ち着いてきた。多謝。
これだけ部屋が暖かいと固定された腕が胸や脇に接している箇所の汗が激しく、汗疹になってしまった。なかなか拭き難い場所である上に、右腕はチューブ上の帯にぴったりと包まれている。雑菌が繁殖しているのか臭いも激しく、かなり痒くなってしまった。
夕食後、主治医の西本先生がやって来た。骨や傷口の痛みも無く、回復も順調なため、2/3(火)に退院することが決まった。汗疹のことを相談したら、塗り薬を出して貰えるとのこと。
手術から1日あいたので、本日より運動再開。メニューは、予め持ち込んだ器具による握力トレーニングとスクワット。暖房の効いた病室内でやったら結構汗をかいてしまったので、一旦中断。階段歩行に切り替えたところ、屋上という最適な運動場を発見。日当たり、風除けも良く、室内気と外気の混ざる場所では温度調節も可能で丁度よい。
固定された腕が胸にぴったり当たっているところが汗をかき、固定用のバンド(正式名はなんと言うのでしょう?)が濡れていたので、看護婦さんに相談しておいたら、よく回診に来てくださる太田先生が交換にきて下さった。まだ新任さんのようで巻き方を一緒に試行錯誤してしまいましたが、お陰さまで勉強になりました。処置後は手元にあったノートPCを使って、自分の自転車関係のホームページの宣伝にお付き合いさせてしまいましたが、お仕事中引き止めてしまいすみませんでした。→太田先生
チューブで尿道がドレインに直結状態のこれまた改造人間状態だったので、寝たきりでもトイレに全く行かなくても済んでしまう不思議な状態で一夜を明けた。
酸素マスクはドライ酸素を垂れ流しにしたような状態で、やたらと口が渇きベトベトした。朝の看護婦さんの診察でお腹の音に異常が無かったので、水を飲む許可が下りた。すぐに看護婦さんに汲んできてもらい、ゴクゴクと飲んだ。続いて、絶食解禁の合図である「初屁の出」も9:07に無事終わった。間もなく小水用の管も外され、起き上がって歩けるようになり、回復は順調に進んだ。
とりあえず今日一日は大人しく過ごすことにした。
午後になると、午前中の外来担当が終わったと思われる西本先生が、病棟まで術後の説明に来て下さった。改造された自分のレントゲン写真を見るのはこれが初めてであった。インターネットで見た他の人の事例から予想はしていたが、バラけていた骨に金具とボルトが打ち込まれていた。綺麗に真っ直ぐ固定されているのを見て、ひとまず安心できた。
手術では全身麻酔を使用するため、前後は禁飲食となる。当日の朝食から欠食となるが、代わりに浣腸が起床後まもなく行われた。
手術室の順番待ちのため、当初13時頃の予定だった手術開始は15:30頃まで遅延。病棟から手術室へは歩いて移動(が帰りに乗るストレッチャーを引きずって行ったので、乗っていくのと手間は変わらず)。手術室エリアには通路兼用の前室の先に7部屋の手術室があり、広く綺麗な場所だった。
広い手術室に入ると、中央に手術台が待ち構えていた。パンツ一丁の姿で上に横たわると、看護婦さんが心電図や血圧計といった測定器を手足にテキパキと付けていった。やがて口に酸素マスクが当てがわれ、点滴の管から冷たい液体が侵入してきた。それ以上何かを感じる前に意識が途切れた。どこまで麻酔薬に抵抗できるか実験しようと思っていたのだが、無念完敗であった。
意識が蘇ったのは、約3時間半後、ストレッチャーでガラガラ引きずられている時だった。最後にベッドに載せられる軽い衝撃を受け、酸素マスクを当てがわれると、一連の処置が全て終わった。気付いた時には、肩が動かないように右腕は胸の当たりにしっかり固定されていた。
今までの想像では、麻酔の注射やメスの傷など手術には苦痛が付き物だと思い込んでいたのだが、今回の経験では痛みは何も無し。医学の進歩に感心するのであった。
手術の終わった夜は体が熱っぽく、夜中の1時頃まで寝付けなかった。が、点滴や氷枕の交換や具合を診に看護婦さんに何度も来て貰って、まるで天使に包まれているような心地だった。
なお、手術前後の右肩(鎖骨-肩甲骨-上腕)のレントゲン写真を下に示します。手術前は鎖骨遠位端が3片に分離していました。手術後は、鎖骨に沿った金属プレートに4本のボルトが打ち込まれるとともにワイヤが一巻きされています。これにより、分離した骨片が真っ直ぐ綺麗に固定されています。但し問題はプレートの肩甲骨側端で、肩甲骨の中に入れてあります。従って、プレート除去までは肩鎖関節を動かすこと、つまり腕を90度以上上げることができません。
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手術前 | 手術後(肩鎖関節プレートにて固定) |
夕方、主治医の西本先生から翌日の手術について説明があった。当初予定したスコーピオンに代えて肩鎖関節プレートを使用するとのこと。骨片をしっかり固定するためらしい。欠点は、プレートを除去するまでの3〜4ヶ月は腕を90度以上上げてはいけないという運動制限が課せられるので、リハビリが遅くなってしまいそうなことである。
立川病院への回答期限の朝、再度タウンクリニックを訪れてみた。院長は休みで代わりの先生に相談したのだが、見解は同じで、鎖骨バンド装着だけで癒合するとのこと。素人の自分としては判断材料も無いまま、相反する2つの診断結果に戸惑うだけであった。
続いて、同じ足で立川病院に向かった。予約の最後の方だったので、予約時刻より1時間近く待たされて診察室に入った。すぐには結論を出せないまま西本先生の前で迷ってしまったが、話しをするうちに手術を受ける決断をした。決め手はそれぞれの病院の傷病に対する取り組み方であった。「ずれたままでも付くし、偽関節になっても支障はない」と言っているタウンクリニックに対し、「難しいけれど、手術できちんと固定します」と言う立川病院の方が物事に正面から取り組んでいるように受け止められ、手術でしっかり元通り治しておこうという気持ちになった。「偽関節になった場合は、日常生活には支障が無くても、肩のコリコリ感とか運動時の痛みが......」という説明も、痛みだけが引いてきたその時の自分の感覚をよく表していた。
こうして手術が1/27に、入院は1/26から1週間程度と決まった。手術後の運動制限を気にして骨の固定方法を聴いてみた。「スコーピオン」といって鎖骨遠位端だけで固定するプレートを使用するとのこと。これなら肩鎖関節ごと固定するタイプより早くリハビリに取り掛かれそうである。
手術が決まると事前検査として、院内を胸部レントゲン、血液検査、心電図とオリエンテーリングした。血液検査では耳たぶを使って傷が止血するまでの時間を測定する検査があるが、傷つけるときに耳元で聞こえる「ザクっ」という音が怖かった。余談であるが、自転車を始めた時から心臓が膨らんでしまい、健康診断の度に胸部レントゲンで何か言われる。いつも説明するのが面倒くさいのだが、今回は何も言われず幸いであった。
親族からの勧めで一度大病院で診てもらうことになり、近所の立川病院に診察を受けに行った。当日の初診の担当が西本先生で、以後主治医となる。レントゲンの像はタウンクリニックの結果とほぼ同一であったが、西本先生の診断は正反対で、手術しない限り偽関節になる可能性大とのこと。入院手術は家族や職場への影響も大きいので、回答は翌々日まで一旦持ち帰らせて頂いた。
ちなみに「近所の立川病院」と気軽に書いたが、かなり良さそうな病院である。慶應大学の関連施設になっていることもあり、慶應出身の医師が多いらしい。ここの整形外科は多摩地区でかなりの評判らしい。医療システムも情報化が進んでおり、予約手続きも素早く、関連部署の間の連携も大変スムースである。
朝鏡に向かったときに、折れた鎖骨の下の胸の辺りが黄色くなっているのに気付いた。これはもしや黄疸かと心配になって、タウンクリニックに電話で相談したところ、折れたところから血が降りてきて黄色くなるもので黄疸ではないとのこと。とりあえず安心した。
タウンクリニックで再度レントゲン撮影。特に変化も異常もなし。
事故の翌日、休日ではあったが事故直後に診てもらったタウンクリニックの院長がいるというので、再診を受けにに行った。診断結果は、手術の必要は無く、鎖骨バンドをしていれば治るとのこと。
説明は次の通りである。鎖骨は折れると肩側の骨片に対し頸側の骨が跳ね上がる。一番外側の肩鎖関節の手前で折れた場合、外的な手段で元の位置で固定するのは不可能である。しかし、鎖骨はつながっていさえすれば問題ないし、偽関節(折れた骨が癒合せずに、ぐらぐらのままになること)になった場合でも日常生活には支障はない。鎖骨バンドで胸を張った状態で固定していれば、ずれるけれど骨はつくとのこと。他方、手術で固定する手もあるが、骨はいじればいじるほど付きにくくなる。偽関節になるのは手術した事例が殆ど。そもそも一番端で折っているので、固定するのにワイヤを巻く位しか固定する方法はないとのこと。
この説明を聴いて、ずれたまま骨癒合というのに一抹の不安は残るものの、手術無し済ませられるものと安心するのであったが......
多摩川オフの後、有志で田無駅前に集まって夕食後の帰り道、事故は発生した。自宅まであと3〜4kmというところで、右側通行の対向自転車と接触し落車。とりあえずそのまま自宅まで引き上げてきたが、路面に打ち付けた右肩の痛みが酷く、外観も左右非対称だったので、念の為病院へ。救急テレホンサービスで聞いた立川駅近くのタウンクリニックに向かった。病院に着いた時点では、自分の手で首の横に触れてみてとりあえず折れていないと思っていたのだが、レントゲンを撮ってみると一番外側(遠位端)が折れていた。3分割になっており、肩鎖関節の脱臼もある。今までどんなにコケても折ったことはなかったので、非常に衝撃的であった。当直の医者によれば、手術が必要かもしれないが院長の判断を聞かないと分からないとのことであった。後にインターネットで調べて知ったのであるが、この「鎖骨遠位端骨折」というのは鎖骨骨折の中でも治療しにくく、殆どのケースで手術になっていた。